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長野地方裁判所諏訪支部 昭和34年(わ)135号 判決 1961年1月20日

被告人 関源広

大一二・六・二五生 自動車運転者

主文

被告人は無罪。

理由

本件の公訴事実は「被告人は、諏訪自動車株式会社に勤務する自動車運転者であるが、昭和三四年九月二三日午後八時五〇分頃諏訪市大字四賀所在国鉄中央線武津踏切において、安全確認のため降車した車掌丸茂正恵(当一九年)を乗車させるに際し、自動車運転者としては、一旦停車し且つ同人が車内に乗車し、発進合図をなしたことを確認の上、車輛を進行させても車外にふり落すことのないような状態であることを確認し、初めて発車させるべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り単に徐行しただけで何ら停車せず、発進合図があつたものと誤解して車掌に対する注視を全くなさず進行を継続したため同女を車外にふり落し、左後輪にて右腹部を轢過し仍つて同日午後一一時一五分頃諏訪市茅野病院において、膀胱破裂兼腹部内出血により死亡させたものである。」というのである。

被告人が諏訪自動車株式会社に勤務するバス運転者であつて、昭和三四年九月二三日午後八時五〇分頃、諏訪郡原村婦人会員四九名を乗せた貸切バス(車両番号長二あ〇五五三号)を運転して上諏訪駅から原村方面に向う途中、諏訪市大字四賀所在国鉄中央線武津踏切において、踏切安全確認のため一旦降車した車掌丸茂正恵(当一九年)を踏切通過後乗車させるに際し、同女が過つて車外に転落したことに気付かず、車を進行させた結果、後輪で同女の右腹部を轢過し、このため、同女が同日午後一一時一五分頃諏訪市茅野病院において、膀胱破裂兼腹部内出血により死亡するに至つたことは、諸般の証拠によつて明らかである。

ところで、本件公訴事実において被告人の過失とされている行為は、次の三点である。即ち

第一、車掌を乗車させるに際し、徐行しただけで完全停車をしなかつたこと

第二、車掌の発車の合図を確認しないで発車したこと

第三、車を進行させても車掌が車外に転落する危険がないかどうかを確めないで発車したこと

そこで先ず右の各事実の有無についで検討する。

第一点について――被告人が、踏切通過後車掌を乗車させるために、少くとも停車しようとしたことは、被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官並びに司法警察員に対する各供述調書、証人北沢幸長の当公判廷における供述及び丸茂富美子の検察官に対する供述調書により認めることができるけれども、その際、果して車が完全に停止した後に発車したのか、或は完全停車に至らないうちに再び進行に移つたのかという点は、右の各証拠もまちまちであつて、証拠上いずれとも認定できない。従つて、仮に本件の場合に、完全停車をしないことが運転者の義務違反になるとしても、被告人が完全停車をしなかつた事実を認定するに足る証拠がないのであるから、結局犯罪の証明がないことに帰着する。

第二点について――証人菊池よねよ、同太田由美子の当公判廷における各供述及び証人伊藤よ志ゑの尋問調書を綜合すれば、車掌丸茂正恵は、乗降口の下段ステツプに足をかけ、乗降口のとびらの桟に手をかけると同時に、口頭で発車の合図をしたが、その瞬間過つてステツプから転落したことが認められ、又被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官並びに司法警察員に対する各供述調書を綜合すれば、被告人は車掌の右合図によつて発車したことが認められる。なお、証人北沢幸長の当公判廷における供述によれば、被告人は、同証人の行つた本件の実況見分に立会つた際、同証人に対し「発車の合図があつたような気がして発車した」旨の陳述をしたことが認められる。しかしながら、仮に、右証言における被告人の陳述の如く、発車の合図が被告人に明瞭には聴きとれなかつたとしても、前記のように現に車掌が発車の合図をした事実が認められる以上、発車の合図があつたと感じた被告人の認識に錯誤はなかつたのであるから、この点については、いずれにしても過失の問題を生ずる余地はない。

第三点について――被告人が踏切通過後車掌を乗車させるに際し、車を進行させても、車掌が車外に転落する危険がないかどうかを確めなかつたことは、被告人が当公判廷において自認しているところであり、又諸般の証拠からも明らかである。

そこで本件の場合に、被告人が、発車にあたつて、車を進行させても、車掌が車外に転落する危険がないかどうかを確めなかつたことが、運転者としての注意義務の違反になるかどうかを検討しなければならない。

凡そ自動車運転者が自動車を運転するにあたつては、常にこれを安全な方法によつて運転する責任を有するのであつて、車掌を同車させて運転する場合においても、運転者の安全運転の責任には何等の消長をきたすものではない。従つて車掌の乗車しているバスの運転者に対しても、当時一般に道路交通取締法施行令第一七条第六号(道路交通法第七一条第五号は同旨の事項を定めている)の適用があつたことは当然であるから、同条同号所定の運転者の義務は、自動車運送事業等運輸規則(昭和三一年八月一日運輸省令第四四号)第三四条第二項第一号並びに第三五条第五号の規定或は諏訪自動車株式会社の運転者安全服務規律(昭和三五年押第一三号の二)第九条並びに車掌乗務規律(同号証の三)第七条の規定によつて排除され、挙げて車掌の義務に転稼されたと解すべきではない。従つて一般的に言うならば、バスの運転者は、車掌によつて発車の合図がなされたときと雖も、乗降口のとびらが閉じられ、乗つている者が転落する危険がないかどうかを確めた後、発車すべき義務があると解するのが相当である。(昭和三二年四月一日広島高等裁判所松江支部判決=高等裁判所判例集第一〇巻第三号二一七頁参照)

しかしながらバスの運転者に右のような義務が課せられているのは、ひとえに一般乗客の安全を確保する趣旨と解すべきであつて、運転者に対する右の法令上の義務が、車掌個人の安全確保についても、当然に課せられるものと解するのは相当でない。思うに前記自動車運送事業等運輸規則によつて明らかなように、車掌は、運転者と共に自動車の乗務員として、乗客の運送業務を直接担当し、自ら進んで運送の安全を確保すべき責務を負つているものであるからである。

ところで本件は、前記のように、婦人会の貸切バスの運転中踏切の安全確認の目的で一旦降車した車掌を踏切通過後乗車させる際の事故であつて、検察事務官作成の報告書と題する書面によれば、当時乗客は全員所定の客席に着いており、専ら車掌だけが前記の業務で乗降したに過ぎないことが認められる。即ち、本件は専ら車掌個人の安全確保に関する場合であるから、前記説明のように、運転者の注意義務の根拠を前記法令に求めることは相当でない。ところでこれを一般条理に照して考えるに、本件は前記のように他に全く乗降する者もなく、一般乗客が車外に転落することが考えられない場合のことであるから、この際の車掌の発車の合図は、車掌本人が自ら自己の安全であることを運転者に告知したことに外ならないのであつて、かかる場合には、運転者としては、車掌の合図によつて発車すれば足り、更に合図をした車掌自身が車外に転落する危険がないかどうかまで確めるべき業務上の義務はないものと解するのが相当である。

してみれば、前記認定にかかる被告人の本件行為は、運転者としての注意義務に違反するものとは認められず、結局、本件は、犯罪の証明がないものとして、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする次第である。

(裁判官 堀江一夫)

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